自己の健康に不安があり、マンションの経営を任せて隠居したいという相談者のケース

事例

Aさん(85歳)の場合。
Aさんは先祖代々相続した土地の上に、投資で得た多数の賃貸マンションを持っています。マンションの中には借主と直接契約しているところもあれば、業者と一括借り上げ契約をしているところもあります。

マンション事業はこれまでAさんが一人で行ってきました。
しかし、Aさんはこの頃、加齢のため体に倦怠感を覚えることが多くなり、これまでは問題なく行えていたマンション管理を負担に思うことが多くなってきました。

ある日、Aさんはインターホンを鳴らした宅配業者に応対しようとしたときに、自宅のフローリングの床の上で転倒し、怪我をしてしまいました。Aさんは入院しました。
Aさんは入院を機にすっかり自分の健康について自信をなくしてしまいました。数年後も自分がマンション管理を行えるか自信がありません。

Aさんの妻Bさんは認知症で、Aさんが自宅で看病していました。Aさんは、Bさんの看病に専念するためにも、マンションの管理を今から他の人にゆだねてしまって負担から解放されたいと思っています。

Aさんには長女Cさんがいます。Cさんは近くに住んでいて、Bさんの看病を手伝ってくれるなど関係も良好です。Aさんとしては、Cさんにマンションの管理を任せたいと思っています。

Aさんの希望

Cさんにマンションを管理してもらい、賃貸契約全般を任せたい。
マンション管理の収益はAさん自身が受け取れるようにしたい。

問題点

Aさんの財産をCさんに贈与・譲渡する方法では税金の問題があります。
また、Aさんとしても、生前からCさんに贈与・譲渡してしまって名義をCさんに移転してしまうことにはためらいがあります。
また、贈与・譲渡して所有権をCさんが得るという事になると、所有者が収益権を有することから、マンション事業の収益はCさんが得ることになります。

Aさんが賃貸マンションを所有している以上、CさんがAさんを事実上手助けするとしても、最終的な決済はAさんが行わなければなりません。
だから、一括借り上げ契約の更新や、修繕見積もりをとることや、修繕工事の発注は、Aさんが行わなければなりません。

Aさんが所有者であることが問題である以上、たとえば、AさんとCさんで共同出資して株式会社を立ち上げたとしても、所有権が移転しない以上問題は解決せず、Aさん自身がこのような処理をしなければなりません。

また、Aさんを代理してCさんがこれらの契約をする方法もありますが、代理のためにはその都度代理権授与契約が必要であり、本人Aさんに意思能力が必要ですから、将来Aさんが認知症を発症したときは利用できないことになります。

Aさんとしては生前からCさんに管理を任せたいと思っている以上、Cさんにマンションを相続させる遺言ではAさんの望みがかないません。また、相続税の負担もあります。

このような信託をご提案いたします

Aさんの賃貸マンションを信託財産とします。

Aさんの所有しているマンションの管理を任せる信託契約ということで、委託者はAさんとなります。
Aさん自身が収益を受け取れるよう、第一次受益者もAさんにしておきます。
マンション管理を実際に行うのはCさんですから、受託者をCさんにします。

このようにすることで、Cさんがマンション事業を行って修繕業者との交渉・契約や、賃借人との交渉や、契約の更新といった大変な作業面倒な作業を行うことにしつつ、マンション事業による収益はAさんが得ることができます。
Cさんはマンション管理を行う権限を取得し、必要ならマンションを売却することができるようになります(売却できないようにすることもできます。信託法26条)

Aさんはマンション管理の負担から解放され、妻Bさんの看病に専念したり、隠居して老後をゆっくりすごすことができます。

注意点

家族信託では信頼できる家族を受託者にできることが大前提です。

AさんのケースではCさんとの関係が良好だったため、Cさんを受託者とすることができました。
しかし、本件とは異なりCさんとの関係が疎遠であり、Cさんの他に信頼できる家族もいない場合、家族信託を利用することは難しくなります(認知症を発症しているBさんに管理を任せることはできません)。
日ごろから、ご家族の方と信頼関係を築いておくことが大切になるといえるでしょう。

また、家族信託も契約である以上、契約時にAさんに意思能力があることが必要です。Aさんが認知症を発症してからだと、後見人がついて財産を管理することになり、家族信託を利用することはできなくなります。 早め早めに予防的に手を打ち、家族全体にとって最善となるような枠組みを作っていくことが大切です。

上のケースとは異なり、Aさんとしてはマンションの名義をCさんにうつしてしまって構わないという場合、名義を移転させるかどうかは信託契約の中で定めればよいのですから、Cさんに登記名義を移すことも当然できます。
Cさんに名義があるほうが、Cさんと契約する相手方としても安心して取引することができます。

上のケースでは、長女Cさん自身がマンション管理を行うだけの経験がある、ということを前提にしてお話させていただきました。
では、上のケースとは異なり、Cさんに不動産管理の経験がまったくない、という場合はどうでしょうか。
Cさん自身が管理できない以上、Cさんを受託者として信託できないのでしょうか。

そんなことはありません。
家族信託は家族が受託者となるものであり、受託者は受託事務について専門的な知識経験を持っていないことがむしろ普通です(この点は、業者が行う商事信託と大きく異なるということができるでしょう)

第一の解決策として、Aさんが長女Cさんに不動産管理のために必要なポイント、ノウハウを伝授する方法が考えられます。
例えば、委託者はCさんということにしつつも、最初の不安なうちは、Aさんが契約に立ち会って、Cさんが戸惑ってしまうような細々としたところをその都度フォローしていけばよいのです。
Cさんが管理業務を覚えてくれたら、AさんはBさんの看病に専念したり、隠居したりすることができるでしょう。
そうなったあとでも、Cさんがマンションを管理していてわからない点が出てきたら、その都度Aさんに尋ねるなどすればよいのです。

第二の解決策として、外部の力を借りる方法も存在します。
すなわち、信託法28条柱書では「受託者は……信託事務の処理を第三者に委託することができる」と定められています。
このような「信託事務の処理を第三者に委託する又は委託することができる旨の定め」を信託契約に定めておくことで、マンション管理の一部を業者に委託することもできるようになります。

上のケースではCさんがマンションを売却することもできるようにしました。
上のケースとは異なり、Aさんとしては、先祖代々受け継いできた土地だから、いくらCさんが必要だと思っても、売ってほしくない、という希望を持っていた場合はどうでしょうか。

信託法26条但書には「その権限に制限を加えることを妨げない」と定められており、受託者の権限を制限するような信託契約を結ぶこともできます。
したがって、Cさんがマンションの管理はできるが売却できない、というような信託契約を結ぶことも柔軟に行えます。

なお、このように受託者の権限に制限をつけていくことで、受託者が暴走することを防ぐことができ、委託者の意思どおりに信託事務が行われるようにする仕組みをつくることも不可能ではありません。
AさんとしてはCさんを全面的に信頼することまではできない、と考える場合、このような仕組みを作ることも考えるかもしれません
しかし、家族信託とは信頼できる家族に全面的に財産を託すことこそがポイントであり、あまり制限をつけるとこのような趣旨から離れてしまいます。

Aさんが死亡した場合の「マンションの収益を得る権利」について考えます。
信託契約にとくに定めがなければ、BさんとCさんに2分の1ずつ相続されることになります。
しかし、Aさんとしては、自らの死後は、認知症で助けを必要としているBさんに収益が行くようにしてほしい、と考えていたらどうでしょうか。

このような場合、受益権がAさんの死亡とともに消滅し、Bさんのもとに受益権が発生するという契約の定めにしておくことで、相続によらず、Bさんだけが収益を受け取ることができるような仕組みにしておくことができます。